職業に貴賎がある方が社会が発展して個人が幸せになる理由

職業に貴賎がある方が社会が発展して個人が幸せになる理由

職業に貴賎がないということをよく社会では言います。ご存知のように、基本的にその意味は、「世の中には要らない職業はなく、全ての職業が等しく大切である」っていうような意味です。

僕はそうは思わないです。というか、職業に貴賎がないと考えること自体が社会の発展を、ひいては個人の幸福感を阻害しているんじゃないのかなって思うようになってきました。

今回は、ちゃんと文章読めないオツムの弱い方々から文句言われそうですが、職業に貴賎があったほうが良い理由について書いていきます。

職業に貴賎は確実に存在している

職業差別の気持ちって皆少しは抱えていると思うんですよね。

すごく極端な例かもしれませんが、知人が誰でもできそうな風俗で働いていたら、その知人に対して少なからず軽蔑の気持ちを抱いてしまうと思うんですよ。綺麗事抜きで考えたらね。全く逆ですが、同様に、医者の知人ができたらその人に対して少なからず尊敬の念を抱いたり。

僕は職業で尊敬したり軽蔑したりすること自体を悪いことだとか良いことだとか議論する気はありませんけど、そんな気持ちの揺れ動きって少なからず皆さん抱えますよね?

こちらの、東大卒の夫を持つ女性のブログを読み、やっぱり職業に貴賎があると再確認したので、僕のこの記事読む前に皆さんも読んでみてください。

ただしマイナスの感情を実際に露わにするのは違う

断っておきますが、個人の心の中で他人の職業に対して偏見を持つこととその気持ちを元に他者を差別することは別です。実際に差別という行動をしてしまったら僕はその時点でダメだと考えています。

心の中でどんな感情を抱こうとも自由ですが、それを元にいじめをしたりはダメだという話です。あくまでその上で、読み進めてくださいね。

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職業選択の話

少し話は逸れますが、僕は今のところ就職する気はありません。しかしもし大学4回生になって就職をすることになったら、大学で心理学という統計学を活用する学問を学んでなおかつ統計専門のプログラミング言語のRを勉強しているので、企業の業績を統計を用いて分析するデータサイエンティスト枠で就職先を選ぶだろうと考えています。

しかし、就活生を見てみたら、大手大手大手大手って考えている人が大半で、就職してからどんな仕事をするのかわかってないような人とかが多分大半じゃないですか。入社してみたら営業に配属されたとか、Excel打ち込みしかさせられないだとか。まあ僕の人生じゃないんでどうでも良いんですけど。

でも正直営業とかExcel打ち込みとか、高卒でもできますよね。別に大卒じゃなくてもできることをわざわざ大卒がやる必要ないじゃん。まあ職業選択の自由があるんでそんな仕事のために大企業選ぶのも個人の自由ですし、僕みたいに適当にサイト作って別の収入得といて人生楽にするのも自由ですけどね。

職業選択に「職業に貴賎がある」という仮定を組み込んでみる

ここで、ある仮定を組み込んでみます。職業選択の際に、職業に貴賎があるという仮定です。

ここでいう職業の貴賎というのは、職業に対する偏見や差別というものだけではなく、もっと広く捉えた、誰でもできる仕事は代わりの人員がいるため劣った仕事であり、その人にしかできない仕事は代わりの人が少ないため優れた仕事であるというような考え方です。まあ主に技術職だったり専門職だったりが貴で、コンビニバイトとかが賎の方の仕事という話になるでしょう。

この職業の貴賎に関する価値観のようなものを社会の人全員が持っていると仮定した時、逆説的ですが、社会全体がもっと幸福になるんじゃないでしょうか?以下にその理由を書いていきます。

専門職の価値が高まる

当然ながら専門的な知識がある人が専門職に就けます。プログラムが組めるならプログラマー、統計ができるならデータサイエンティスト、そんな感じで、貴の住み分けが起きます。さらには、Javaが得意な人、Pythonが得意な人、回帰分析で変数間の因果関係が見えるだけじゃなくそれらの関係を式にする人、共分散構造分析で見えない変数をも想定してそれら見えない変数をも関係性の中に組み込める人、って感じでさらに高次な住み分けが発生するでしょう(専門的すぎて読んでくれてる人の大半はわかんないでしょうけど)。

そしてそれらの住み分けで確立された個々人の能力を社会はきっと欲するでしょう。そして、その個人を高い値段で買おうとする。もちろん、高い値段で雇いたがるって意味ですよ。だって、不動産屋の会社の人事がもし優秀だったら、駅からの距離などの立地と間取りから家賃相場を算出できる重回帰分析のある程度使える人とか、高い人件費払っても欲しいでしょ。

貴の仕事の人たちの報酬が市場原理に基づいて上がっていったら、まだ賎の人たちもそれぞれが勉強をして専門を一つ持とうと頑張るでしょうし。

このように、替えの効かない個人が重宝されるという、広い意味での「職業には貴賎がある」という仮定の上で成り立つ社会が出来上がる方が僕はその社会を構成する個々人の幸福感が上がると考えています。

賎もまた幸せ

同時に賎の側の誰でもできる仕事をしている人もまた、より働きやすくなるでしょう。

だって、VBAが書けるのにエクセル打ち込みをさせられている人が、貴の方のプログラマの方に進んだら、エクセル打ち込み枠も一つ空くでしょう。そしたら、エクセル打ち込みしか出来ない人の席が一つ確保できますからね。コンビニバイトも、それに見合わない人は専門職に行くでしょう。それに見合った人の求人が増加する。コンビニバイトも賃金上がるでしょう。働き手が、専門職に吸い込まれていったら。

貴賎が両方幸せになる、それなら僕は社会全体が職業には貴賎があると認めた方がいいと思うんですよね。

現実の世界はどうか

と、ここまで、仮定の上での話をしてきました。実際の社会では、能力も専門性もある人も潰されているでしょう。
僕は院行くつもりなので苦笑いしかできませんでしたけど、こんな感じで。

このように現実の世界では、持っている専門性に合っていない仕事をひたすらしている人が大半でしょう。せっかく大学という専門の勉強できる期間出てるのに、営業回りとか。もっと専門の修士出たのにナムロック解除とか。くだらねえ。

こんな風な適した場所で適した人が働けていない社会を変えるためにこそ、職業に貴賎があるという考え方を持つのも良いのではないでしょうか。

最後に:仕事で人の貨幣価値は変わっても人自体の価値は変わらない

僕はここまで、職業によって、労働者の市場における貨幣価値に差が出ることを書いてきました。

めんどくさい批判に先に対処をしておきますが、僕の言いたいことは、レイシスト的な差別的なニュアンスのものではありません。あくまで働いた時に生まれる個人の貨幣価値と、その人自体が持つ優しさや人格といった計測しにくいもののある人としての価値とは別物であるとした上での話です。僕の知り合いにも夜職していた人いたけど、僕はその人良い人だと思ってますし、一定の尊敬の念も持っていますし。

その辺勘違いした謎のクソリプはやめてくださいね〜。

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